塾なんてなくなればいい。

私は、「塾」が大嫌いです。

塾、という言葉を聞くだけで嫌な気持ちになるぐらい、大嫌いです。

塾などなくなればいい、そう公言しているほどです。




学力を伸ばすために、学校があるのです。

塾とは本来、そのサポート役でしかないのです。



私はよく、こう喩えるのですが。

塾は、病院のようなものである、と。



言うまでもなく、病院とは、

自力では治療できない、病人が来る場所。

或いは、プロやプロを目指すような一流スポーツ選手が、

より頑強な肉体を手に入れるために、来る場所。




どちらでもない、普通の人ならば、

年に一度の健康診断にのみ、訪れる場所。



本来塾とは、そういう場所であるべきなのです。

つまり、学校の勉強についていけない生徒や。

はるかに高いレベルを目指す優秀な生徒のみが、

訪れるべき場所。




そうであるべきなのです。

ところが、実際はどうか。



台北では、ほとんどの生徒が、塾に行く。

しかも、毎日のように通う。

ほとんど問題などないような生徒までが。

或いは、高いレベルを目指すのには少し苦しいような生徒までが。

塾の門を叩く。

塾漬けになる。



いわば。

健康な子供達が、

こぞって「入院」し、

「薬漬け」にされているようなものなのです。






ぞっとします。

もちろん、病人は病院に行くべきでしょう。

軽い風邪だと思っても、どこかに重病が隠れているかもしれない、

病院に行くのは悪いことではない。




でも。

ほんの微熱で、一々病院に駆け込むのは。

しかも、高価な検査機器がある大病院で、

精密検査を受けられるならともかく、

適当な診察しかしない(出来ない)、

そこらの町医者に行くのは。





そして、そこで、

症状を抑えてくれるような薬を大量に買い、

それを服用するのは。




時間とお金の無駄になるだけなら、まだいいでしょう。


しかし、それだけではない。



簡単な黴菌やウィルスを自力で倒すための、

「免疫力」を身につける機会をも、

失わせることになってしまうのです。





つまり。


塾に通い、

そこで、やるべきことの指示や、

具体的な勉強方法などの指示を、

受けてしまうということは。






自分なりの効果的な暗記方法を見つけるために、


自室で、リビングで、

音楽をかけながら、静寂の中で、

友人と一緒に、ひとりぼっちで、

電車の中で単語帳を見ながら、ぶつぶつ単語を唱えながら、

何度も書いてみたり、語呂合わせを作ってみたり、

得意教科ばかりやってみたり、不得意教科ばかりやってみたり。


どの方法でやれば、自分が一番伸びるか、

色々試してみる、そういう行為こそが、

人の能力を最も効率よく伸ばすものなのですが。




そういった、「試行錯誤をする」機会と、

「試行錯誤をする能力を伸ばす」機会を、

失ってしまう、ということなのです。




特に十代前半というのは。

その人間の根幹を決めるべき大事な期間です。



しかも。


勉強はまだそれほど複雑ではなく、

多少遅れた程度であれば、いくらでも取り返せる期間です。



つまり、試行錯誤をしても構わないだけの余裕がある、

長い人生の中の、唯一の期間だということです。










その機会を失うということは、

その人間は、生涯、

「試行錯誤して答えにたどり着く」という能力を、

考え方を持てない人間になってしまう可能性が非常に高いということでしょう。




若い頃から無駄に病院漬け、薬漬けであった人が、

年を取った後、軽い風邪などでも、すぐダウンしてしまうように。




お金と時間をもらって、

子供の目前の症状を抑えるだけで、

実際には、子供をダメにしてしまう。




そういう塾ばかりの現状に。


私は、どうしても「塾嫌い」にならざるを得ないのです。

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