「ツッコミ」教育の悲哀

いきなり、お笑いコンビに関しての話ですが。

お笑いコンビはほぼ例外なく、
「ボケ」役と「ツッコミ」役に役割分担されています。

一人が発したおかしな言葉=「ボケ」を、
もう一人が分析したり、修正したりする=「ツッコミ」をする。

そうやって、多くの漫才やコントは成り立っています。

目立つのはどうしても、
おかしなことを言う「ボケ」役になりがちですが、
もしこの「ツッコミ」役がうまくなければ、
「ボケ」の多くは、
そのおかしさを理解されないままに終わってしまうでしょう。


実際、ボケ役のお陰で一時的に人気の出るコンビが多くいますが、
長年に渡って活躍するようなコンビは、
必ずと言って良いほど、ツッコミ役が、
頭の回転の速い、実力派であるものです。



さて。

私がここで何を言いたいかと言うと。


問題を解く行為も、漫才やコントと同じく、
この「ボケ」と「ツッコミ」が双方必要だ、ということです。



問題を目の前にした生徒が、
その答えを間違えるのが「ボケ」です。

それに対して、「この答案におかしなところはないか」と探すのが、
「ツッコミ」です。

この双方が揃って、素晴らしい答案が完成します。


ただ、
漫才やコントでは、
おかしな「ボケ」がなければ成立しないのに対し、
勉強では、
答案には、「ボケ」=間違いは、ない方が良いに決まっている、
という程度の違いはありますが。


それでも。

実際に、おかしなところの一切ない答案ばかり作れる、
そんな天才はいません。

絶対に誰でもミスはします。

ですが、
そのおかしなところを、分析し、指摘することで、
次回のミスを減らしたり、
あるいはミスの発見や修正の速度を早めることが出来る。

そういう経験がなければ、
ミスを減らす・発見する・修正する能力はなかなか伸びない。

運悪く、実際のテストの際に、ミスをしてしまった場合、
取り返しがつかなくなってしまう。


その意味で、
テストではともかく、普段の勉強では、
答案に「おかしなところ」=「ボケ」が多ければ多いほど良い、
といっても、過言ではないのかもしれません。





しかし。


今の教育は。
いや、多くの人が、「教育」と思っているものは。


ただただ、「ボケ」をなくすように命じるだけ。


そして、「ツッコミ」の必要のない完璧な答案、
そればかりを提示し、
そのコピーばかりを生徒に求めるのです。



学校ならばともかく、
塾までもが、
そんなツッコミの必要のない、
「正しい答案」ばかりを伝えて、要求している。


そんな行為に、なんの意味があるんだ?

私はずっとそれが不思議でなりません。


正しい答案。

そんなものは、どこでも見つけられるのです。

学校で教えてもらえる。
教科書だって参考書だってある。
インターネットだってある。


今の時代、
正しいものなんて、幾らでも手に入るのです。

わざわざ塾なんて行かなくても。



しかも。
そんな「正しいもの」を幾ら受け取ったところで、
人は絶対に、「ボケ」をしてしまいます。


その、「ボケ」に気づき、素早く「ツッコミ」を入れる。
ミスを素早く発見し、修正する。
それこそが、大事な能力なのです。
「正しいことを知る」だけでなく。

その能力は、「正しい答案」だけを伝えてもらう、
「正しい教育」では、絶対に身につかないのです。




ですから。

私はずっと、この「ツッコミ」ばかりをやってきました。

生徒に「正しい答案」なんて教えない。

まず、解かせる、間違えさせる=「ボケ」させる。

その上で、プロである私が、
出来るだけ素早く、かつ出来るだけ適切に、間違いを指摘する。
出来るだけ素早く、「ボケ」に、良い「ツッコミ」を入れる。


その繰り返しの上で、
生徒が自分自身で素早く「ツッコミ」を入れられるようになる
=「一人ボケ一人ツッコミ」が出来るようになる。


そういう目標を持った指導を、
ずっと実行してきたのです。


そして。
その指導を気に入ってくれた生徒は、結構な数いたものです。

自分の弱点・欠点を、
素早く・適切に指摘してもらい、
かつ、修正方法をアドバイスしてもらう。
これを繰り返すで、
やがて弱点・欠点を自発的に修正できるようになり、
塾など行かなくとも、
飛躍的に伸びた生徒が、大勢いたものです。


そして、漫才やコントと同じく、
この「ツッコミ」には、
相当な学力が必要であるため、
他に真似できる講師もいませんでした。

そのため、私のみを信頼してくれる生徒も、相当数いました。





ですが。

近年、この「ツッコミ」指導は、難しくなって来ました。



「ボケ」ることを、
ただただ悪いことだと感じる生徒の割合が、
おそろしい勢いで増えて来ているのです。


間違えても良い、むしろ間違えろ=自由に「ボケ」なさい、
と指示しても、優しく諭しても、強制しても、
ただただ「正しい答案」を教えてもらうのを待つばかり。

それが与えられない限り、
絶対に間違えない=「ボケ」ない唯一の方法、
「何もしない」道を選んでしまう生徒が、
異常なほど、増えてしまっているのです。


解法をまだ教えてはいない、
でもそれほど難しくはない問題を与えても。

「なんでもいいから解いてみなさい」と言っても、
全く動かない生徒たち。

「図を描いてみなさい」と言うと、
「図の描き方を教わっていない」
「数字を適当に当てはめてみなさい」と言うと、
「どんな数字を入れたらいいかわからない」

やっと何かを書いたと思っても、
すぐに消してしまう。

そしてあとは、ぼんやり問題を眺めるだけで、時間を過ごす。



そんな生徒ばかりになってきたのです。





黙ってしまった「ボケ」役に、
「ツッコミ」役が出来る仕事はありません。
「ツッコミ」役も、黙ってしまうしかありません。


黙って突っ立っている、
そんなコンビは、存在価値がないでしょう。




何故みんな、「正しいこと」ばかりを求めるのか。

何故みんな、「ボケ」なくなったのか。


「ツッコミ」役としては、非常に忸怩たる思いのする、
この頃なのです。





























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