聞くは一生の恥

「聞くは一生の恥」という言葉を私は時折口にします。

もちろん、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」の転用です。

分からないと口にするのは恥ずかしいので聞かずにいれば、

一生分からないままで恥ずかしい思いをする、というのが本来の意味。

そしてその本来の意味通り、

多くの生徒たちはすぐに、「教えてくれ」と要求してきます。

お陰で、「教える」仕事は儲かる。




でも。

私は、その「すぐ聞く」そして「すぐ教える」習慣に、

違和感を覚えています。

というのも。

彼らは、「少し調べればわかる」ことも、

「少し考えればわかる」ことも、

とにかく「すぐ聞く」のです。




目の前のホワイトボードに、「円周=直径×3.14」と書いてるのに、

「直径5cmの円の円周を求めよ」という問題の解き方を「聞く」。

目の前にある辞書を開けば単語の意味が書いているのに、

「覚えていない」と感じた瞬間に先生に「聞く」。

そんな有様なのです。





もちろん、そういう生徒に、正解を教えるのは非常に簡単です。

でも。

そんなことはしたくない。



「easy come, easy go」です。

目の前のホワイトボードを見る、辞書をめくってみる、

その程度の労を惜しむ生徒に、

何を教えたところで、そんなものはすぐに抜け落ちるに決まっている。



ここまで極端でなくとも、

「自分のした計算をやり直してみる」

「問題をもう一度じっくり読み直してみる」

などの単純な行為をするだけで、

確実に正解に至ることのできるケースなのに、

「分からない」と質問してくる生徒は本当に数多い。



「聞かぬ」が一生の恥だったのは、

辞書すらろくに存在しなかった時代の話。

知らないことを知るためには、

非常な苦労をしなければいけなかった時代の話。



でも、電子辞書なりスマホなりを子供たちが持っている今の時代、

「自分で調べる」ことが非常に容易な今の時代では、

「聞かぬ」でも「知る」ことは、容易なことなのです。






そんな時代に、安易に質問してくる生徒に、

安易に答えや解き方を教えてしまう。

こんなことをすれば、生徒たちはそれに狎れてしまい、

何より大事な「自発的に考える」習慣を身につけることが、

一生できなくなってしまう。



まさしく、「聞くは一生の恥」です。





ですので、私は時折、質問に答えることを拒否します。

「もう少し考えてみなさい」

「もう一回やり直してみなさい」と告げる。

指導者として、生徒を伸ばす仕事をする人間として、

これは当然の対応だと思っています。



ところが。

こういうことをすると、途端に評価が悪くなってしまうのです。

「あの先生は質問に答えてくれない」、と。



そして、

「あの塾のあの先生は丁寧に教えてくれる」

「あの家庭教師は丁寧に教えてくれる」

という「評判」を有する指導者の方へ、

生徒たちは、家庭は、流れて行ってしまう、

そんなケースを、私は何度か経験しています。





非常に残念なことではありますが、

まあでも、ある一面では、仕方のないことだとは思います。



と、いうのも。

質問に答えなかったところで、

そういう生徒たちは「粘って答えを出そう」となんてしません。

大概、正解を出すことを「諦めてしまう」だけなのです。

目の前のホワイトボードを見ず、辞書をめくらず、

ただ、「解けなかった」という事実を受け入れるだけ。

それ以上何もしません。



それなら、まだ、「質問に答えてもらう」ことで、

「知識」が多少なりとも入ったほうがマシだ、

という考え方もありなのでしょう。






まあですから、「丁寧な先生」が持て囃されるのは仕方がない。

私も、「生徒のやる気を出させる」ために、

あえて必要以上に丁寧に教えることはある。

商売ですし。



でも。

少なくとも、小・中学生の学校レベルの勉強は、

学校で、教科書で、この上なく丁寧に説明されているのです。

そこでさらに説明するなんてのは、

「屋上屋を架す」ようなもの。

「解けない」問題に出くわす時は、

結局、生徒本人に、「真剣に考えよう」「絶対に解こう」

という気持ちがないせいであるケースがほとんどなのです。

そういう生徒にどれだけ懇切丁寧に指導したところで、

結局抜け落ちていくだけ、時間の無駄になってしまうのです。




ですから、やるべきことは「教えない」ことなのです。



もちろん、ただ教えないだけではありません。

それでは生徒は諦めてしまう。



やるべきことは、

生徒に正しい方向を指し示し、そちらに向かって歩けとけしかけること。

気楽に質問してくる生徒に対して、

正解を教えるのではなく、

「参考書を開きなさい」「辞書で調べなさい」と指示すること。

そういったことなのです。






「聞かぬ」ことで成長する生徒、

「教えぬ」ことで成長させる先生。

そういう目標を持たない指導は、何の意味もありません。





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