「教えれば出来るようになる」なんてありえない。

「うちの子が全く理解していない。ちゃんと教えているのか?」

時折、こういうクレームのようなお話をいただきます。

その度に、私はひどく困惑してしまいます。

「教われば出来るようになる」なんてことはあり得ない、

ということを、伝えるために。




率直にそれを告げたところで、

「出来るようにならないのだったら、じゃあ塾は何の意味があるんだ?」

という話になるだけ。

そうなると、より話は複雑になっていきます。

なかなか口頭でお伝えしきれるものではありません。





で、その複雑な話を、ここでしますと。



繰り返しますが、

「教えれば出来るようになる」なんてことは、

絶対にありえないのです。




それは言ってみれば、

「赤ちゃんが、歩き方を教わったので歩けるようになった」

というようなもの。



もちろん、「教わった」ことがきっかけで、

「それまで歩かなかった赤ちゃんが歩くようになった」

なんてこともあるでしょうが、

その赤ちゃんは、ほぼ間違いなく、

「教わらなくてもいずれは歩けるようになった」でしょう。



小・中学生の勉強も、同じようなものです。

「教わらなくても、いずれは出来るようになる」もの。

塾などで教わることで、

「できるようになる」時期を「多少早める」

ことが出来るだけのことなのです。

そして、「受験」は決まった時期に受けなければならないため、

どうしても「多少早める」必要性があるからこそ、

「塾」には一定の存在意義があるに過ぎないのです。




そしてこれはつまり、

「できないことは、どれだけ教わってもできない」ことを意味します。

例えば「自転車の乗り方」を、

歩くことすらできない赤ちゃんにどれだけうまく教えようが、

それを乗りこなすことなんて不可能でしょう。

ある程度成長し、筋肉やバランス感覚が十分に発達した上でなければ、

「自転車に乗りこなす」指導は全く意味を持てないのです。

(しかも、指導の後の、自分自身での訓練も必要です)



勉強も同じこと。

「論理的思考力」「想像力」「慎重さ」などの、

勉強だけでない、「日常生活」の中でこそ伸ばすべき能力に関して、

十分な発達をしていない生徒に、

非常に難解な問題を与え、解き方をどれだけうまく説明しようが、

全く意味はないのです。



もちろん、「論理的思考力」などを伸ばすのに、

「勉強」は非常に有用な存在ですから、

未熟な生徒に対しても、勉強をどんどんさせることで、

結果的に「伸びる」ことは十分あり得ます。

三輪車などで訓練させた子供が、

自転車を乗りこなす時期が、他の人より早くなるであろうのと同様に。



ですが、その「指導」が適切なものでなければ、

未熟な生徒たちは、往々にして、「暗記」に走ってしまいがち。

肝心の「論理的思考力」は全く伸びない、

虚しい勉強に終始してしまいます。



こんなことでは、勉強をさせるよりも、

もっと創造的な「遊び」などをさせていた方が、

「能力」はもっと伸びたろうに、

そう思わざるをえないケースは、本当にたくさんあります。

特に、「中学受験勉強をしてきた子供達」には、

そんな例が本当に多い。

「旅人算の公式」「食塩水の公式」などを丸暗記だけしていた生徒達が、

そんなものを知らぬまま楽しく小学時代を過ごしながらも、

中学校で「速さの方程式」「割合の方程式」をきっちり理解できた生徒達に、

容易に負けてしまうケースは、本当に多く見られるのです。





ですので。

塾としてまずやるべきことは、

「その生徒の成長段階を的確に診断し、適したテーマを与えること」です。

特に、個人差の大きい小・中学生、

あるいはインターや現地校に通う海外の生徒に関してはそうで、

一人一人のレベルをきっちり見定めないことには、

意味のある指導は出来ないのです。



そのレベルを見定めるのが、易しいことではない。

毎日毎日顔を合わすのならそれほど大変ではありませんが、

そうでない生徒に関しては、

さまざまな問題をやらせてみて、逐一その反応を見なければなりません。

それに、一旦その生徒のレベルを把握できたとしても、

特に小・中学生に関しては、短い期間に一気に成長することもあります。

とにかく常に生徒の現状を注意深く観察しなければいけないのです。



ですので、「全く理解できてない」というクレームが来ることは、

ごくごく当たり前のことです。

そろそろこれぐらい出来るかな? と思って出してみたところ、

残念ながら出来なかった、というだけの話です。



そしてさらに言えば、そういうケースは大概、
「その生徒がもう少し粘ってやってみれば、必ず解ける」もの。

十分な知識・学力は備えているのにもかかわらず、

「図をかく」「教わったノートを見直す」「テキストを見る」といった、

粘るための「精神力」が不足していたがために、出来ないだけ。

「精神力」も含めての「学力」なので、

「解ける学力がある」と見た私の見立ては間違っていたのは確かですが、

ただ、そういう「精神力」は、やはり家庭環境による影響が大きいもの、

塾が完全に見極めることなどは、やはり非常に困難なのです。




と、いうわけで。

「宿題が全く出来ない」という事態は、それなりの頻度で発生しますし、

それはそれで仕方のないことだと思っていますし、

クレームをいただくのも仕方のないことだと思っています。

上記なようなことをどうにか理解していただくことが経営者の務めであり、

それが出来ないのは、私の力不足だと覚悟しています。








































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