どうして「安い塾」を作ったか。その⑤

自分はつまらない指導をしているな、

そういうことを思いながら仕事をしていたその時、

とんでもない奇禍が起こりました。



私が台湾で補習班を設立した当時、

外国人が台湾で塾を開くことは法律上不可能でした。

ですので、名義上、台湾人のオーナーを据えて塾を開いたのですが、

そのオーナーが、不意に、塾の資産全てを自分の個人名義とし、

かつ、私との労働契約を一方的に破棄したのです。




非常に愚かなことではあるのですが、

私は、台湾に一切の個人資産を持たず、

収益は全て会社の資産にしていました。

住居や携帯電話に至るまで、

全て会社名義の契約にしていました。




ですので、オーナーがこの行為をした瞬間に、

私は、全財産を失ったのみならず、

労働ビザを持たない外国人になってしまったために、

「台湾の居留権」までをも、無くしてしまったのです。




これには参りました。

日本に引き上げることも当然考えました。

ですが、家族の進学状況もあって(卒業まであと半年でした)、

それは出来るだけ避けたいことでした。




ですので、私はとある塾に助けを求めました。

しかし、その塾は一旦はその助けを快諾しながら、

他の塾からの「北上田と組むな」という圧力に簡単に屈し、

一方的に、謝罪すらないままに、一切の連絡を絶ったのです。

もちろん、「教室を作る」というのはいうまでもなく、

「ビザを出す」という言葉すらも、反故にされた訳です。




幸いなことに。

私には、台湾での永住権をとる資格があり、

実際にそれを取得することが出来ました。

これで、居住権と労働権は取り戻しました。




そして、今年の夏、

他の様々な問題もようよう解決へと向かい始め

また、今後も台湾に住み続けることも決まりました。




そして何より、台湾の法律が改正され、

外国人が塾のオーナーになることが可能になったのです。


オーナーが別にいる場合、

どうしてもその意向に従わざるを得ません。

どうしても、利益を出す為の、「最短ルート」を取らざるを得ません。



もちろん私も、利益は出したい。

しかし、「最短ルート」は取りたくない。

そんな詰まらない仕事はしたくない。


そして、そんなことをしなくても良い状況になったのです。

そこで私は、自分自身の塾を復活させることを決めました。



今度こそ、自分のやりたい指導をしよう、

それが出来る塾を作ろう、

そう私は決意しました。











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