どうして「安い塾」を作ったか。その④

「ほんの少しの手直し」で、生徒は一気に伸びる。

実際、それで一気に点数の伸びた生徒はそれなりにいるし、

そのお陰で、私の塾は大勢の生徒を呼び集めることができました。



しかし、その「ほんの少し」を、

ほとんどの生徒が聞き入れないがために、

ほとんどの生徒を、伸ばすことが出来ない状態に陥ってしまう。




そういったことを前回書きました。





では、なぜほとんどの生徒が、

「ほんの少し」を聞き入れないのでしょうか?

大して負担のかかることでもないのに、

そしてすぐに効果がわかることなのに。



その理由として、私は散々、

「最近の生徒は異様に保守的である」という風に考え、

そうそこらじゅうで言ってきました。

「今の子供の世代は、恵まれすぎていて、

極度に保守的=小さな習慣すら変えようとしない」と。



それはそれで、間違いではないとは思っていますが、

しかし「時代」の責任にしてしまうと、話がそこで終わってしまう。

それに、そういう時代であったとしても、

その中でも、きっちり習慣を改善させる生徒はいるのです。




では、どういう生徒が、習慣を改善させ、簡単に成績を伸ばしたか。

それを考えてみたところ、

その共通項は簡単に見つかりました。




それまで塾に通わず、自力で好成績を出していた生徒か、

塾に通ってはいても、その指導を懐疑的に見ていた生徒。




全てのケースが、この二つのどちらかに当てはまりました。

こういう生徒達が、私の提示した「手直し」を、

何ヶ月かの試行錯誤の末、はっきりと「良い物」と認識してくれた途端、

それを一気に吸収し、そして急激に伸ばすことに成功したのです。





結局のところ、こういうことです。

「自分の手でなんとかしようとする」「他人には頼りすぎない」

そういう「意志」を元々持った生徒のみが、

「良い物」を与えた時に、それを消化・吸収し、「栄養」と出来るのです。



それを持たない生徒は、何をどれだけ与えようが、それを受け付けない。





勉強に関してよく引用される、譬え話。

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることは出来ない」



水を飲もうという意志のある生徒だけが、喉を潤すことができ、

飲もうという意志のない生徒には、どれだけ水を与えても無意味である。



そしてもっとも厄介なのは、

既に、「よくない水」で「お腹いっぱい」になってしまっている生徒。

ただ「意志がない」だけ生徒は、時機が来れば水を飲み始めるかも知れないが、

既に腹を満たしてしまっている生徒には、どれだけ「良い水」を与えようが、

もうそれ以上は中に入らない。




特に近年は、元々非常に優秀な能力を持っているのに、

そういう「よくない水」に満たされた生徒に、よく出会います。



そんな愚かな勉強法で良い点を取ってきたということは、

今まで一体どれだけの努力をしてきたのだろう、と、

本当に頭の下がる思いはしますが、

それと同時に、本当に残念でならないし、可哀想でならない。

どれだけ工夫しようが、

そういう生徒を伸ばすことは本当に難しいですから。




そして今、多くの生徒が早いうちから塾通いをしてしまう今、

私が出会う生徒に関しても、そんな生徒が大半である、という事実。

どれだけ指導しようが、伸びない生徒がほとんどである、という事実。




この事実の前に、私は途方に暮れました。



無論全員が全員、そういうタイプだという訳ではない。

中には、「喉の渇いた」生徒だってわずかにいる。

また、私の観点からは「伸びた」とは言えなくとも、

本人のひたすらの努力で知識を詰め込み、

結果、「一流校」に合格する生徒もいる。


そういう生徒のお陰で、生徒数だけは十分に集まり続ける。

お金は儲かり続ける。




でも。

仕事には、ほとんどやり甲斐がない。


こんなつまらない仕事をしていていいのか?

こんな仕事は、他の塾に任せて、

私は私の出来ることを、やるべきことを、やるべきではないか?

そういう思いは、どんどん膨れ上がって行きました。




そして、そんな時。

あの「奇禍」が起こったのです。














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